インド紀行文 その4


2月16日(水)
 

聖地ラジギールに車で向かう。


ナーランダ大学跡に行く。13世紀に侵攻の激しさを増してきたイスラム教により仏教やヒンドウー教の寺院や施設が破壊され、土に埋もれた。イギリスがインドを植民地化した際に、これらの遺跡の多くがイギリス人の手により発掘された。その最たるものがこのナーランダ大学跡である。

まだまだ発掘の余地っていると、大勢の僧侶や学者たちの学び瞑想をしている姿が目に浮かぶ。是非一度は訪ねて欲しい史跡である。

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有名な竹林精舎は観光化され、正直がっかりしてしまった。三年前はまだこの様ではなかったのだが。天気模様が怪しくなってきたので、明朝に見学をする予定の聖地霊鷲山を夕方参拝する。

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山頂には怪しげな僧侶風の男がいて、ちょっと興醒めであるが、ここにもタイの団体参拝の一行が熱心にお参りをしている。私たちも般若心経を一巻お唱えする。私たちの中に腰を痛めている人がいたのだが、往復を籠で行ける。山の端に沈まんとする夕日が素晴らしかった。
 


下山後、ヒンドウー教信者の温泉沐浴の場に向かう。長い階段の一番上段にバラモンの沐浴場があり、中段にその流れた湯で沐浴をする場、おそらくヴァイシャ、平民と翻訳されている人々のためのものがあり、そして最後の一番下の沐浴場ではシュードラ(支配されている人々)の子供たちが楽しそうに水遊びをしており、女性が洗濯をしている。何とも理解しがたい光景であるが、恐らく何の疑いも無く、この状態を自然に受け止めているのだろう。

 

明日からはただひたすら成田に向けての移動である。ホテルでインドの最後の夜を参加者の感想を聞きながら過ごす。
 

皆、インド旅行の感想は想いが深く、文書にゆっくりとしたためますとのことで、感想文を期待する。そして初めてのインドとよく知らない人との旅行に若干不安を抱きながらの参加であったが、直ぐに打ち解け、食べて笑っての楽しい時間であったと言って貰えたのが、企画した私たちにとって嬉しい感想であった。


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2月17日(木)
 

早朝に雨が降ったため、パトナ空港までの道路が大渋滞になってしまった。飛行機に間に合わないといけないと、国道の路肩を走る。そこも渋滞。運転手は反対側の車線を逆走し始める。目の前にトラックが迫る……。何とか空港に時間通り着いた。そして、飛行機を五時間待つ。
 

お疲れ様でした!

 

運営スタッフ活動報告2011-03-22 14:29:59

インド紀行文 その3


2月14日(月)
 

ベナレスからブッダガヤに専用車にて移動。

最近ハイウェイが出来、三年前に比べて格段に快適なドライブではあるが、6時間ほどかかる。

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大塔見学。お釈迦さまが悟りを開かれた菩提樹(四代目)の木の下に金剛宝座が厳重に囲いを施されてある。日本のオーム教の麻原彰晃のせいでこの様になったとインド人のガイドが言う。


恐らく案内をするあらゆる国の人々に「日本の麻原が〜」と同じことを言うのであろう。タイやチベットの僧侶や信者が団体参拝で、真剣にお経を唱えている。一方観光客目当ての土産屋の攻勢も凄まじい。

 


スジャータ村を見学したが、三年前にはなかった遺跡があった。ガイドはスジャータが住んでいた家というが、どう見てもレンガが積み上げられた塔にしか見えず、むしろ想像力を掻き立てられる。


インドの未知なる神秘性と新しい遺跡の発掘の可能性を感じる。

 

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2月15日(火)
 

印度山日本寺にて日本寺第四世竺主・知恩院第八十六世門跡中村康隆先生の納骨法要と釈尊涅槃会法要に参列する。法要後写経運動にご協力いただいて集まった千五百巻のお写経を宝篋印塔に皆で般若心経をお唱えしながら納経した。

 

 

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その後薬師寺大写経納経法要涅槃会を大塔にて厳修し、日本寺までのお練りに参加した。この様な経験は滅多に出来るものではない。
 

時間の合間に境内で無料の治療をしている、私達連盟の写経運動の奉納金を診療費の一部としている光明施療院と同じく日本仏教保育連盟が中心となって援助している無料保育園の菩提樹学園を視察した。

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現地の医師や保母さん達の説明を聞き、患者や園児の様子を見るにつけ、この支援は兎に角続けていかなければならないのだとの決意を深める。

 

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帰国したら、更に写経運動の協力をお願いしよう!

 

運営スタッフ2011-03-22 14:08:06

インド紀行文 その2


2月13日(日)


早朝ガンジス川に観光。

日の出はとても美しく天候にも恵まれた
 

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火葬場と沐浴と洗濯……そしてゴミ、人、牛、犬、警笛、物売り、物乞い、騒々しい音楽、広い階段、古くて高い建物、壁に書かれたヒンドウー語、観光客で溢れそうな沢山の舟。カメラ片手の私達を生活の糧にしている一方で、インドの人々にとってのガンジスは自分の罪を洗い流してくれる神聖な河なのである。

河縁の町には死の部屋があるそうだ。死期を悟った人がその部屋で飲み食いを一切せずに、幸せな来世に希望を託し、火葬されて河に流されるのを静かに待つのだそうだ。日本で今軽んじられている死と葬送について、ふと考えてしまう。
 

全国青少年教化協議会の神先生と合流して「ダルマチャクラビハーラ」を視察訪問。ここはテレビ東京「世界を変える百人の日本人」でも紹介された曹洞宗の日本人僧侶、後藤恵照師が私財を投げ打って設立し、身を粉にして浄財を集めて運営している無料中学校で、仏婦はここの4人の子供の里親をしている。日曜日にも拘らず20人ほどの生徒が父親とともに迎えてくれた。

 

科目はヒンドウー語と英語と算数が主になる。 父親たちは農家が多く、貧しい。中学を卒業さえすれば、直ぐにとは言えないが職につく事ができる。更に教育を受ける事が出来れば大学にいくことも可能だが今はその先がない。

そこで無料高校を設立できるように努力を重ねている。後一つの教室ができれば州の認可が下りる。一つの教室の建設費用は百五十万円である。寄付に頼るのみだそうだ。そして今新たに5人の子供が里親を待っている。

私達に何ができるのか?何かしなければという思いが駆り立てられる。


その後「シャンプナートシン・リサーチファンデーション」を視察。シェルターで貧しい子供達の親代わりとして面倒を見、そして教育を受ける事を親も子も希望する子供を学校に通わせている。

 

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親の職業を聞いてみると、以前はサリーの縫製をしていた。知っての通りインドの貧困層は仕事を皆でシェアしているが、中国のオートメーション化された工場の進出により職を失った。 今は日雇い労働者となっているという親が数人いた。

中国の各国への経済進出は最近とみに問題になっているが、この様なところにまで影響があったとは!
 

ここでは親はいないが、真剣に教育を望んでいる孤児を3人、宿舎といってもベッドがあるのみの一つの部屋ではあるが、そこから学校に通わせている。

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午後釈尊初転法輪の地サルナートを見学し、夕方遅くこのシェルターを主宰しているラジール・ シンさんに 、ベナレス駅にいるストリート・チュルドレンのためのナイトシェルターを案内された。駅の近くの小さなビルの屋上にある事務所とキチンを含めたわずか4部屋である。

夜の8時過ぎると大勢集まるが、今はちょっと早い時間であったので3人がいた。ここは宿泊処ではなく、食事も援助はするが全面的に与えない。駅で煙草を売ったりしており、基本的には外で寝ている。

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彼らに何が欲しいかと聞いてみると「屋根が欲しい」というのでこの様にしたそうだ。皆夫々の日本では考えられない事情がある。その中に17歳で小学五年生の男の子がおり、真剣に今を脱したいと願っている。その子の目はキラキラとしている。希望を持つ事がきっとできたのであろう。

里親ができれば昼間訪れたシェルターに引き取りたいとシンさんは願っている。そして自分たちの活動を皆に知ってもらいたと最後に語った。

 

日本にこの子達の事やシェルターの事を、伝える事を約束して子供達と握手をして別れた。

運営スタッフ活動報告2011-03-22 13:38:50

インド紀行文 その1


2月11日(金)


三年ぶりの連盟主催のインド巡拝の八日間の旅が始まります。
 

初日はデリーの飛行場で着陸後、飛行機の牽引車の故障で40分以上の機内待機が続き、またホテルまでの道路の混雑と車の喧噪は、「インドへ来た〜」と感ひとしお。

三時間半の時差は他国に比べて決して厳しいものではないが、それでも体内時計が午前様だぞと就寝を促す。眠い!


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2月12日(土)


デリーの空港からベナレスへ移動。

三年前の空港を知っているものには、ただ目を見張るばかりの豪華な変わり様である。インドが著しく発展していることは知っていた。しかしこの空港と道路傍のインドの人々とその住居等の生活形態のギャップは、現代のインドのどうにもしがたい問題を表している。

ベナレスのホテルで賑やかにそして豪華に執り行われていた結婚式。美しくし幸せそうな花婿花嫁と、ホテルの塀の外の埃にまみれて行き来している人々。

 

 

 

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私達はこの塀の外の人々より更に貧しく救いの手が無ければ人間らしい生活すらも出来ない人々のために活動をしている。
 

日本では困っている人たちに同じ日本人が自然に手を差し伸べているのに、インドではそうではない。
 

インドでは裕福な人が多いのに「何故自国のために動かないの?」とただ単純に問いかけてしまう。





運営スタッフ活動報告2011-03-22 13:09:25