愛

キリスト教は「愛」の宗教といわれるが、仏教で使用される「愛」は、悪い意味として使用される場合が多い。

「愛著(あいじゃく)」とは、のどが渇いたときに水が欲しいというような、激しいむさぼりという意味であり、煩悩の一つである。愛染明王が、染物屋の守り神となっているのは、「藍を染める」(藍染=愛染)と音をかけたことによる。

古代日本では、愛を「いつくしむ」「おしむ」「めでる」と読み、音は「え」であった。今も愛媛県にその音が残っているが、要するに、悪い意味には使われていなかった。

ところが、仏教が入って来ると、「愛」は「ものをむさぼり、それに執着(仏教語としては執著)する」とか「欲望の満足を求める心情」を意味する言葉になった。心の執着を離れることを一大目標にしている仏教にとって、「愛」はまさに煩悩の一つであり、「離れるべきもの」となった。

キリスト教の「愛」に対するものは、仏教でいえば「慈悲」という言葉になる。「人類愛」「人間愛」という点についていえば、キリスト教の愛も、仏教の慈悲と握手できるかもしれない。愛の裏には「憎しみ」があり、愛が深いほど憎しみが増すが、慈悲の場合は他に対して与えるだけで、その見返りを期待しない……ということになっている。

いずれにしろ、どの宗教でも究極のところでは「言葉」というものを信用していない。それは言葉は汚れるし、変化するからであるキリスト教は「愛」の宗教といわれるが、仏教で使用される「愛」は、悪い意味として使用される場合が多い。